9/1 茂木先生のお考えが好き 子どもは大人のミニチュア版ではない
おはようございます。
発達障害をみんなで考える会『ここから』代表のひなたです。
なんか一気に秋になった感じです。
元気ですが心身がまだ不安定。
人がいると安心します。
そして人と話してるととても安心する。
夏の終わりは昔から気落ちする事が多いです。
単に夏の疲れかなと思いますが。
でも、昨日はとても楽しい夜でした。
9月になりましたね。
脳科学者の茂木健一郎先生のブログが大好きでよく読んでいます。
ツイッターもフォローしてます。
科学者、っていいなぁと思いますね。
私もまた何か勉強したいなぁと思ってます。
基本、人間が好きなので人の心理とか、成長発達のこととか、自分の体験も踏まえて、また学びたいなぁ。
と言うことの中に脳の科学も入っています。
発達障害って脳の機能障害、伝達障害と言われているので脳の仕組みには非常に興味があります。
図書館に
行きたいなぁと思うときには
月曜日
今日は日曜日ですけども、旦那くんと多分おデートなので図書館には行けないな。
それと昨日の車椅子バスケットの続きが観たい。
ADHDな私の定まらないブログです。
めちゃくちゃですが読んでいただきありがとうございます 笑
やっぱり茂木先生はいい!と思う今日の連続ツイート。素晴らしいので是非。
子育てを16年間して思ったこと。
子育てなんて言えるほど立派なことをした覚えもないんですけど、
子どもってつくづく素晴らしいなって思うんですよね。
昨日も、友達と話していて
インクルーシブ教育の話になったんですが、結局うまくいかないのって大人が茶々入れるからだということをウンウンとうなづいておりました。
インクルーシブ教育の考え方そのものについては私は賛成ではあるんですけども、そこに大人が入ってくることに私は反対なんです。
子どもって子ども同士でコミュニケーションをさせると、とてもいい関係を築き上げます。多分、大人みたいに忖度したり、しがらみがあったりしないから。
多数決なんかをとったりもしないで、みんながちゃんと楽しめるように遊びのルールを作ったりする。
耳のきこえない子どもと、きこえる子どもが仲良しなんだと聞いて、どうコミュニケーションをとってるんだろうと思ったら、ひたすらかめはめ波を打ち合いしているだけだったと言うステキな話も。サイコーである。
大人なんぞが子どもを教育しようなんてこと自体、おこがましく、むしろ、学ぶことの方が多いじゃないかと常々思うわけです。
そんな風に思っていたら茂木先生の素晴らしい連続ツイート。
子どもは未完成な大人だと思いがちだけれども、ほんとうは大人の方ができそこないの子どもという側面も大きい。子どもはどんな子どもでも見どころがあってすばらしい。大人が陳腐になってしまうのは、いろいろなことを忘れてしまうからである。世間や経験で曇らされてしまうのだ。
大人が陳腐。
私はよく大人の方がバカだと呟きますが、陳腐という言葉の方がもしかしていいかなと思いました。
なんと言うか、バカだ、より愛を感じました。私は大人はバカだと思っているけど、愛すべき生き物でもあると思っています。
だから、バカという言葉より、私が思っていることに近いなと思いました。
真似しましょう 笑
子どもの頃のことを思い出します。
私は、幼い頃は県営の集合住宅に住んでいて、就学前の小さな子から大きな子まで、グループになって遊んでいました。
鬼ごっこをしたりするときに、大きな子は体が大きい分いろんな面で有利だし、逆に小さな子は体が小さい分、いろんな面で不利。
そうなると平等じゃない。
この辺だけの習慣かもしれないのですが、その小さな子も平等に遊ぶことができるような仕組みとして『あぶらっこ』という、ちょっとだけ、優位にしてあげるという仕組みがありました。
例えば、鬼ごっこでも本当なら一度捕まれば鬼にならなきゃいけないけど、その子は3回までオーケーとか、そんな感じで、みんなが楽しくなるようにする。
まぁ、本当に平等になっていたかどうかはわからないけど、それなりにみんなで楽しんでいたということは、それでよかったのかなと思います。
異議が出ればまた話し合って決めたりもしていたし。
そんな風に、子どもだって、問題があれば解決をする、ということをちゃんとできるのです。
それは別に学校で指導されたわけでも、親からの言いつけでもなんでもない。
ただ、一緒に遊ぶ上でみんなが楽しめるようにと創意工夫した、それだけのことでした。
耳のきこえない子どもときこえる子どものかめはめ波の打ち合いだって、別に多分何も深い考えはなくて、ただ楽しいからやっているだけなんだろうと思うし、飽きたら別のことを考えて、少しずつ、深いコミュニケーションになっていくんだろうなと。
ある意味ではそのかめはめ波は手話の役割をしていて、楽しさを共有する手段になっているのは本当に素晴らしいなと思います。
大人同士ではそうはいかないんですよねぇ。
いろんな忖度やしがらみ、世間体、都合、様々なことに邪魔されますから。
子ども目線でこんなことを考えるとき、この社会の仕組みってほんと陳腐だなぁって思います。陳腐。早速使ってみました。
子どもの世界は優しい。
ときに残酷でもあるけどそこに他意はないし。
子どもが作る世界のように、単純でわかりやすい世界こそ、私の思う優しい世界なのかなぁと思うのでした。
余談ですが
『子ども』の記載なんですけど、私は供は漢字ではなく、ひらがなにこだわっています。
供はお供の供なので差別的である、という考え方があるからです。
『子どもは大人の付属物ではない。』
そう言う考え方から来ています。漢字のことはどうでもいいのですが、大人の付属物ではないと言うことは私も思っています。
文科省では『子供』で共通させると決定しましたね。
別にどちらでもいいですが、私は字面を考えたときに『子供』より『子ども』の方が好きなのでそうしている、と言うのもあります。
こだわるのは発達の特性かな、とも思いますね。
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発達障害をみんなで考える会『ここから』
毎月15日19時より『ここから例会』を行なっています。
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