普通であらねばならぬこと

発達障害をみんなで考える会『ここから』代表の日向まどかです。
みなさんお元気ですか?
夏の疲れがーとずっと言ってる感じ 笑
私に取ってこの夏は本当に人生を変える夏でした。

そんな中で気づいたことがたくさんありすぎてまとまらない文章をつらつらと書きます。




そこにいていいよ
生きていて大丈夫だよ
と言われているように感じられること


私たち発達障害者にとって
この言葉はどれだけ重みがあるだろうか。


決して望んでなどいない失敗を定型発達の人たちよりもたくさん、たくさん繰り返しし続けること

それで何度も謝っても許してもらえないこと

もしくは謝った途端、ほらみろお前が悪いとますます深い謝罪と挽回を求められること

100点を取っても、たまに100点以上とってきなさいと言われ、100点以上取ってきたといえば、満点じゃないでしょう?と言われる。

謝って行動で示してもそれ以上を求められる。

もういいよ、とか
わかったよ、とか
何も考えてないんじゃないの?とか
バカじゃない、とか

ため息まじりの言葉を投げつけられる度に生きていてもいいのだろうかと
何度も何度も思った、私の人生

わかったよ、と言いながら何もわかっていないことが見えてしまうカンの鋭さ。
ADHDだったりHSPだったりすると気付いてしまう。
私の気持ちに寄り添う事なく、とりあえずなだめて『自分のために』私をコントロールしようとしているのだなと。


テレビの中で同じ思いを語る発達障害のピアニスト 野田あすかさんの言葉にポロポロと涙がこぼれました。

変わることを強要されて、こうあらねばならぬと、こうしたらいいじゃん、と、こう示したらいいと思うけど、と

私が私でいることを許してもらえない

信頼してもらえていない

心の安定がはかれない

いつも不安定でふわふわしているからすぐに具合が悪くなる


何とも言えない孤独感をずっと抱えて来た私と同じく、髪の毛をむしり、壁に頭を打ち付けて来た、と。
自殺未遂もなんどもしたんだ、と。

苦しくて苦しくて
ずっと、『このままの私』では誰からも好いてもらえないから、たくさんの鎧を着て、失敗するたびに武装して、兜被って、失敗して、コテもつけて、それでも失敗して、膝当てもつけてガチガチに武装してきた。

母が勧めてくれたいろんな自己啓発の本を読んで
どんな風な自分を演じれば好かれるのか、
女性のキャリアと言う名の白衣も着てみた。


母から送られた本はこうあらねばならぬ、ということばかり書いてあった。

画用紙に理想像を書いてはそれとかけ離れている自分を悲しんでいた。

その理想像の主語は私ではなかったことに最近気づいて今はまだ戸惑いの中にいる。


疲れて毎日やっぱり苦しくて
何もない自分は誰からも愛されないのだとぺしゃんこにされてきた。立ち直らないうちに次のことが起こるということの繰り返し。

『私のいうことを聞けば素敵な女性になれるのに』

そんな自分が何か生み出せるものはあるんだろうかと思った。

野田あすかさんにとっては
それがピアノだった、ということ。



『ねばならぬ』と言う言葉を人に投げつける時
その人はそれを愛だという
思いやりだという
あなたのために、という

でも投げつけられた方からすればそれは違う

自分を否定された、そんな思いしか残らない

それは残念なことに
親子だったり、夫婦だったりする間に多く生まれる、何か、おかしな愛に似て非なるもの。

残念ながらその相手が愛しているのは自分である場合が多く、今流行りのモラ夫=自己愛性パーソナリティ障害であり、自分のことしか愛せない、人に共感することができない、未成熟なまま年ばかり取って自覚なくたちまち家族をカサンドラ症候群に陥れる。

けれど自己愛性パーソナリティ障害もやはり機能不全家族によって作り上げられるものであり、ある意味被害者でもある。

自分のことを異常なまでに愛する、妻がご飯を食べられなくとも、子がさみしい思いをしていようとも自分が賞賛されるための行為は続ける、そのためには相手には共感しない、共感すると自分だけを愛し続ける、自分のガラスのメンタルを守ることができなくなるから。

でもそれも実はありのままの自分を受け入れられない、自己受容ができていないことが原因である。自分を努力とかお金とか権力で高め、それを誇示することで自分を守るある意味可哀想な人でもある。


その人がそうなったのはその人のせいではないのだ。


世の中にはそんな人がとても多くいて、そんな人たちが『ねばならぬ』つまりモラルを押し付ける社会になっている。
あなたの会社の上司がそれかもしれない。

『ねばならぬ』

というみんなが乗っている大きな船に乗って行かないとあっという間に転覆してしまう世の中なのだ。

それを親は子どもに教え込もうとする。
そしてそう育てられた子どもはそれが正しいと周囲に押し付けるようになる。

それを親心と言ったりもするのだけれど
そんなもの、子どもにも妻にも必要なくて
それを押し付けることは単にその人を尊重していない、信じていないということになることがわからない。

そうやって続いていく負の連鎖がこの『ねばならぬ』が横行する苦しい生きづらい世の中を作ってきた。

その負の連鎖をここで断ち切ろう、そう思う。

学校へ行かねばならぬ
いうことを聞かねばならぬ
働かねばならぬ

それが苦しいと思う人たちはたくさんいるんだということを知って欲しい。

私たち発達障害者はその当たり前とか普通とか言われる『ねばならぬ』ことができなくて苦しんでいる。


薬を飲んでまで
『ねばならぬ』ことに合わせて生きている。

頭が押さえつけられている感じがするからもう飲みたくないんです、という子。

薬を飲んでいる私のことがみんなは好きだから飲むんだ、という子。

覚醒剤と変わらない成分の薬をそれでも飲まなきゃならないのは何故なんだろうと考えた時、『ねばならぬ』で作られたこの世の中に合わせるためなんだということを憂う。

そんな生きづらい世の中でなければ、私たちはこんなにも苦しむことはないし、障害者だと言われることもなく生きていけると思う。


『ねばならぬ』を少しずつ解消して行った時、きっと、そのままの自分を認めてもらうことができる気がします。


『ねばならぬ』
いわゆる、同調圧力、普通、常識、モラルと言われるようなこと。意外にこれは曖昧で私たち発達障害者には分かりにくいこと。

中学を卒業したら普通に高校に行って、大学に行き、就職して、できるだけ同じところに長くお勤めして、適度なところで結婚して、子どもを3人以上持って、家を建て、子どもを自立させたら夫婦2人で老後を年金で楽しま『ねばならぬ』

多分これがいわゆる日本人の『普通』

でも、この普通と言われる人生は
必ずしもそうなら『ねばならぬ』ものなんだろうか?

いわゆる普通の人たちはみんなこの普通の人生を理想として、親や、学校の先生たちは子どもにそれを望み、望むだけでなく押し付ける。

それができなかった私は
自分には生きて行く資格すらないと思っていたし、今も少なくともそう思っている。

けど、今苦しんでいる人たちは
普通であろうとしてもそうなることができなくて苦しんでいる。



世の中の大多数の人たち(マジョリティ)が、普通の人生を送ることができたとしても、そこから外れてしまう少人数の人たちは、マイノリティだから多数決で捨てて置かれてしまっている現実。

多数決を民主主義だと勘違いしている。

本当の民主主義は人『民』に『主』権がある『主義』だから、マイノリティも尊重されるのが民主主義なのだ。



いろんな問題が山積しているんだけど
結局のところ、アダルトチルドレンや自己愛性パーソナリティ障害を作り出してしまう機能不全家族が多くある、ということがこの社会が作り上げられた一因。

でも実は機能不全家族が出来上がる原因も社会の構造にあるということも理解しなくてはなりません。

『ねばならぬ』社会は実は

金が『ねばならぬ』社会


なのだという事。これを資本主義社会という。

お金が価値を持ち過ぎた社会に皆がコントロールされている。

お金は必要です。
お金という、価値をわかりやすく可視化するために生まれたものそのものは悪くない。

けれど、それを社会の主役にしてしまったために世の中はどんどん狂っている。ないと命が損なわれる。尊厳を失う。


原発が稼働されるのだって、それで儲かる人がいるから。

強盗殺人が行われる理由となんら変わりない。

人の尊厳を奪ってお金を手に入れている。


お金がないと命が危ない、そういう仕組みの社会だから、みんなが自分を守るためにそうなってしまった残念な社会であるということを早めに気付いて変えていく動きをする必要があります。
例えば衣食住などのライフラインは全て無償化するとかね。国民皆保険のやり方を医療だけでなく衣食住にもすればいい。

私たち発達障害者だけでなく、社会全体で行われているモラルハラスメントの被害者は皆さんだという事に気付いて欲しい。

人のことなど考える余裕がなく、共感力が失われていく。

『うんうん、そうだよね』

という力、共感力が損なわれている。



実は、毎月例会をしていても、最終的にはいつもそこに辿り着くんです。

たくさんの問題を抱えていても、それを解決するすべを求めてきたとしても、結局のところ、私たちがすることは

『うんうん、そうだよね』

と共感すること。

それで大体の人たちは力を取り戻す。
そして、解決に向かう。

地道なこの繰り返しをやっていく、そして社会を変えるには、草の根の活動の他に、政治に関心を持って、いい方向に舵を取ってくれる人に一票を投じる事。

選挙は社会を作るための大切なこと。

その清き一票を得るためにその時ばかり政治家は頭を下げ嘘をつく。情報を操作する。投票率を操作する。小選挙区制にして一票の価値を操作する。

逆に言えば、私たちにはそんな不正をしないといられないだけの力があるのだということを自覚して行動していかないとこのモラルハラスメントにあふれた社会を変えていくことはできない。

私たちは憲法に守られて権力に負けない力を持っている。

目の前の人と戦うことも大事かもしれないけれど、実はその人もこの社会に作られた人。

根本はどこにあるのか、ということを見極めなければ戦う相手を見間違う。

生まれながらの悪人はいない。

虐待されている最中は虐待されているという自覚を持つ余裕もない。

だから世の中の多くの人は自分がモラルハラスメントにあっているということに気づいていない。


『普通』であらねばならない必要はない。


みんなが自分らしく誰にも変わることができない特別な人間だということを尊重されて生きることができる社会にしないとどんどん日本人は壊れていく。

特に単一民族である日本人はみんなと同じであることを好むし排他的である。
小さな島国が大きな国に喧嘩を売って叩きのめされて今は大国にモラルハラスメントされている滑稽なこの状態を笑う余裕などない。目の前にいるだけで闘争心を折られている、ジャイアンの前ののび太みたいに。
そんなのび太にも共感して強い味方になってくれるドラえもんが長いこと愛されるのは至極当然だなぁと、多くの人がのび太に自分を投影しているんだろうなぁと、金曜の夜思うわけです。

みんながカサンドラ症候群になりつつある日本。その証拠に自殺が多い。
救ってくれるはずの家族が機能不全。
その機能を私は会の例会を持って果たして行きたいなと思っています。

ドラえもんほど手立ては持っていないけどね。

今日は彩えんぴつの例会です^_^


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発達障害をみんなで考える会『ここから』    
毎月15日19時より『ここから例会』を行なっています。
発達障害に関心のある方であればどなたでも参加できます。   
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電話番号 080-4512-7102( 代表 日向)  
事務局 鶴岡市苗津町3-13  
メール coco.color.hattatsu@gmail.com  
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発達さんのためのでこぼこサークル『ここから』(解散いたしました)

(2024年6月14日をもって解散いたしました) 山形県庄内地方で活動している 発達さんのためのでこぼこサークル『ここから』です。 『ここから』は毎月15日に茶話会を行なっています。発達障害に関心のある方であればどなたでも参加できます。(参加費は場所代を割り勘にしています。おひとり数100円です) coco.color.hattatsu@gmail.com

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