8/31 完璧主義は自分も周りも苦しめる、そんな人は一度鬱っぽくなって生まれ変わるといい

おはようございます。
発達障害をみんなで考える会『ここから』代表のひなたです^_^

心身が整わずなっさけないなぁーと思いながらも
疲労回復のために休んでいますが
もう少ししたらみなさんにお知らせしないといけないことがあります。

発表段階にないのでもう少ししたら。



私は震災のころに鬱になって寝込み
なんとか回復してから
鬱の人のためのピアサポートをしたいと思ってとあるNPO法人を訪ねました。

そこの代表理事の方とお話ししたくて。

自分が何をしたいのか
どうなりたいのか

いろいろ迷っていたけどとにかく自分の体験を生かしたいと思ったから、自殺対策を重点的にされているNPO法人のところへお邪魔したのでした。



鬱になり、そこから回復する、ということは
私の場合ですよ。

赤ちゃんからやり直す

ということに似ていました。

まず、日常の生活動作がままなりません。

食べること
寝ること
着替えること
お風呂に入ること
全てができない

私の場合、感情の表出や会話もできませんでした。

恐ろしく嫌な出来事からは
逃げ出すパワーを発揮して逃げたのだけど
そのあとはガクンときます。

ただ毎日
布団にくるまってガタガタと恐怖に震え
動くのはトイレだけ

光も音も恐怖の対象でした。

回復するためにはひたすら快適と思われる環境で過ごし、減ってしまった心のエネルギーを補充すること、それしかありません。

家族に助けられ、時に母に髪を洗ってもらったりする。その過程は承認欲求を満たしました。自分はお世話してもらえる価値があると思うことは自分の心を満たしました。

子どももきっとそうやって満たされる事が大切なんだろうなと思います。

そして、なんとか立ち直ったけど
もう普通に仕事をすることに恐怖心を持ってしまった私は働くこともできず
けれど『何かしなくては』と思い、NPO法人を訪ねたのでした。


その時、私はどんな話をしたのかももう覚えていません。

ただ印象に残った話が


『完璧主義は自分も苦しくなるけど
                周りの人も苦しめるんだよ』

という言葉でした。

鬱になりやすい人の性格として完璧主義があります。

◯◯しなければならない

という言葉をよく使う人

いるんですよね。多分私もそうだったんだろうと思います。

◯◯しなきゃ、

という言葉を多分、使っていたんでしょうね。

そもそも、『何とかしなくては』と思ってそこを訪ねたんだから。

それは自分縛る言葉。

しなきゃならないこと、なんてものは
本来、存在しないはずなんです。
生きていくためのこと以外には。


私はナースだったので
仕事柄、◯◯しなくてはならない
という事が多くありました。それは患者さんの命を守るためだから当たり前です。
そういう現場だから。

その◯◯しなくてはならないという事をいつのまにか普段の生活にも持ち込んでいたんですね。

発達障害の人の特性の1つに
タスクの切り替えが苦手
という事があります。

私はそれが苦手で、24時間ナース、という状態でした。

ナースの仕事は大好きで誇りを持っていましたが、24時間ナースという状態は心にも体にもいいはずがありません。

常に緊張状態だという事です。

疲れるに決まってるんですよね。

しかしながら、世の中のナースがみんなそうではないので、私の特性のせいだったのだろうと今は思います。

完璧主義をずっと続けていました。

けどね、当然疲れが出てくるんですよ。

そして発達障害の人は疲れがわからない人も多い。
私もそのたちです。

後からガクンとくる。
それが鬱の正体でもあったかもしれません。もちろんキャパオーバーしてしまう出来事があってのことですけど。

キャパオーバーに気づくのも苦手です。

いまだにぶっ倒れるまで自分の限界がわからなかったりします←イマココ 笑



そんな私がとりとめのない思いを話した時に言われたのが
『完璧主義は自分だけでなく周囲も苦しめるんだよ』
という言葉でした。

当時の私にはすごくショックな言葉でした。

自分にだけ課している、◯◯しなくてはならないという事が周囲にも響いている、なんて思ったこともなかったからです。

自分には厳しくとも他人に厳しいつもりはなかった。


けれど、完璧に物事をこなそうとする人はたとえ周囲にそれを求めずとも、その雰囲気が伝わって周囲にも緊張を与えるのだと言います。


今はよーくわかりますけどね 笑




今は緩くなりましたよ、当時に比べたらね 笑


むしろ、ねばならぬが嫌いです 笑


いろんな人がいて

いろんな生き方があって

いろんな考え方があって

それは自由なんだという事

発達障害を学ぶほどにいろんな人がいて
それぞれの特性があって
そしてそれは発達障害の人だけじゃなく
いわゆる、健常者と言われる人たちも当然同じです。

ねばならぬ

などということは
食う、寝るの他にありません。

つまり、生きるということのほかないのです。


でも今の世の中残念ながら

同調圧力


『普通』であらねばならない



ということが蔓延っています。



『普通』っていうといわゆる標準的で大したことない感じします。

まるで誰でもできそうに見える。


けれど、実は違います。


その『普通』の基準は一体誰が決めたのか知らないけどいつの間にかそれは
誰かが決めた『正解』としてみんなを縛るようになりました。


『普通』に生きる


ということはいつのまにか

『正解』を生きる


ということになってしまっている。


そしてその『正解』から外れると
生きていけない仕組みになっている。



だから苦しいんですよね。


たくさんのお悩みを聞く中で
いつも思う。

結局はその『正解』から外れそうで怖いのだということ。


誰かがあなたに強いているその『正解』をこなそうとして苦しんでいる、ということ。


つまり、本当はあなたらしさ、という事があるのに、誰かの『正解』を自分を殺してこなそうとしている、ということです。



こうしなきゃ
ああしなきゃ


って。

それはね、自分をきちんと保てていない、ということにもなります。


自分とは誰なのか。がわかっていない。

それを構築するのは
思春期だと言われています。


ハイティーンの時期はとても大切で
自分とは誰なのかを考える時期です。


この時期に何か、それを考える事ができない出来事があると、それから先、自分がどうしたいのかわからなくなります。


どう生きていくのか

その設計図を作る時期に

それをする環境になかった。


反抗期がなかったり(ない人もいるけど)
自分とは誰かということを十分に考える時間がなかったり


だいたいそれがうまくいかないのは


実は親子関係だったりします。




反抗期とは
今まで完璧で神様のような存在だった親が
だんだんと大人になるにつれて
実は人間だったとがっかりする時期です。


だからそのジレンマを親にぶつけます。

そもそもの関係上、親がわりとと子どもと親しくて、そもそも友達親子だったり、または、そもそもがっかりな親だったり 笑 すると反抗期がない場合もあるようです。

それが問題かどうかというのはわかりません。

ただ、親離れ子離れのためにも反抗期は必要かと思うので、それがないといつまでも離れられない親子になる可能性は否めないかもしれないですね。

親と自分は別人格で、別の人間で、親と同じ考えを持つ必要はない、つまり、親のいいなりになる必要はないんだと悟り、親から離れる。

そうやって自分が誰かということを考えていくんだけど(一般的に、ですよ。例外もあります)その過程が阻害されると自分というものを持つ事ができなくて、『普通』という基準に従うことを勘違いするんじゃないかと私は思うのです。


私はどうやらその過程をすっ飛ばしてきたらしく、自分というものがないまま社会に出たから、『普通』という基準に縛られて、わけわかんなくなって鬱になったのかなと解釈しています。しかも医療業界という『ねばならぬ主義』の最たる現場で。

鬱になって赤ちゃんからやり直して
親とも喧嘩をして
おそらく大変遅い反抗期を経て
今の自分というものを手に入れる事ができたんじゃないかと思います。


そう考えると、人間てすごいなぁと思いますね。


成長段階ですっ飛ばしたところがあると
何かしらの形でやり直しする機会をもらえる、ということです。


それはとても苦しいけれど
私は鬱になってよかったと思うんですよね。


だから、そんな風に思えたことをみんなに伝えたくて、ピアサポートをやりたいと思いNPO法人を訪ねたんです。


そしたらそこでまだまだ自分は完璧主義で周囲を苦しめているということを知ったのでした。


それからの私は


ゆるゆるになっていきます 笑



なんでもありのまどかさんだよね


って言われることは

ん?と思うときもあるけど
ま、親しみやすく話しやすいまどかさんだという褒め言葉に受け取っておきます 笑

なんでも許すわけではないぞ。
むしろうるさいんじゃないかと思うこともあります。

でもそれは完璧主義とは多分変わったと思います。

周りを苦しめていないかと時々振り返りますが、多分大丈夫かな 笑

私から離れていった人はもしかしたら私が完璧主義的な部分を発動してしまった人かもしれません。


でも私は別に完璧であろうとは今は思わないから、私である私と合わない人が去っていこうと、全く気にならなくなりました。


そんなこともあるだろうな、と。



前は無理に境界線を引いてこの人とは合わないという人を自分から避けてましたけど、それやるとむしろ、人を見る基準ができてしまって、ものすごく疲れることに気付いてからは、特に、誰が私の元へ来ても拒否したり線引きしたりしなくなりました。


わざわざ人を嫌うということをしないことにしました。

私の場合、それが私らしさなのかとても楽です。

人が好きで、人を愛していて、どんな人でも幸せで笑顔でいてほしいし、その手伝いができるなら心から喜んでそうしたい。

そんな風にいうと恐ろしく善人のようですけど、それは違うくて、私はそれを自分のためにやってるんです。

最近やっと、自分がそうしたいからやってるんだという事がわかってそれを認める事ができました。

それをやっているとね、私のことを好きな人たちは、なんでそんな生き方するの?辛くないの?と心配してくれます。だから、違うのかなぁと思ってました。

でもね、私好きでやってるんだからいいじゃん、と思うようになりました。

善人だからじゃなくて、人の笑顔の手伝いをする事が私自身の情けない部分を補っているんです。

それに気付いたら、なーんだ、私はそういう人なんだと思って無理しなくなりました。

とことん話を聞くようになりました。

そもそもADHDで思考の多動があるので話を聞けないときもありますが 笑

そんな自分も許しています 笑

あ、こいつ聞いてねーなと思ったら、遠慮なく、聞いて!といってくださいね 笑


私は何度も鬱になったり鬱っぽくなったりして、何度も一度死んで生まれ変わった気がしています。

そうやって繰り返して自分を手に入れていくんですね。

違う方法もあるんでしょうけど。

落ち込むたびに考えて見つめなおして自分を見つけて強くブレなくなっていくんだと思いました。

完璧主義な方はそのうち自然に鬱っぽくなる時期が来るかなと思います。

今その過程にいる人たちが私の周りに何人もいて、成長をやり直しています。

私はその応援をする。

そして強くなった瞬間を見る。

それがたまらない生きがいですね。

子育てと同じなんですよ。


8月はお盆やら夏休みやらで
ここから例会も彩えんぴつ例会もお休み致しました。

9月はいつも通り15日19:00〜21:00まで
ここから例会を行います。

彩えんぴつ例会はまだ日程が決まっていません。
決まり次第ご連絡致します。

今日で8月が終わるんですよ?なんか焦りますなぁ 笑


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発達障害をみんなで考える会『ここから』  

毎月15日19時より『ここから例会』を行なっています 
発達障害に関心のある方であればどなたでも参加できます。  
当事者限定の会『彩えんぴつ例会』に参加されたい方はお問い合わせください。

お問い合わせ 
電話番号 080-4512-7102( 代表 日向) 
事務局 鶴岡市苗津町3-13 
メール coco.color.hattatsu@gmail.com 
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発達さんのためのでこぼこサークル『ここから』(解散いたしました)

(2024年6月14日をもって解散いたしました) 山形県庄内地方で活動している 発達さんのためのでこぼこサークル『ここから』です。 『ここから』は毎月15日に茶話会を行なっています。発達障害に関心のある方であればどなたでも参加できます。(参加費は場所代を割り勘にしています。おひとり数100円です) coco.color.hattatsu@gmail.com

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